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通学路脇ではもっといろいろは蜂との出会いもあったと思うが、前章では印象に残っているものだけのの紹介にとどめた。
通学中にいろいろな蜂を見ることが出来たが、もちろん学校の敷地内にも蜂はいた。
しかし勉強するために登校しているので、時間中に積極的に蜂を探し回る事は出来なかった。
当たり前の事である。
学校は敷地も広く建物も大きい割に、さほど多くの蜂に出会った思い出は無いが、いくつかの蜂との出会いがあった。
小学校は三階建てくらいだったと記憶しているが、木造建築で広い校庭があり大きなクスノキがあった。
在学中にこれといった思い出は無く、せいぜい花壇にヒゲナガハナバチの雄が、長い触角をなびかせて飛んでいたのを覚えている程度だ。
蜂の採集を始めていたので中学になってからだと思うがで当時としては珍しい蜂を小学校で見つけた。
フタスジスズバチという、黒を基調として薄黄色の帯や斑紋がある、腰細の蜂だ。
ドロバチ科に属する蜂で胸部に2本の溝があることから、フタスジの名がついた様だ。
見つけた現場ばはっきりと覚えていない。
渡り廊下だったか、校舎の軒下だったか、いずれにしても私が小学校だった時代では、校舎も木造建築で古びたものだったので、柱に既存坑があるかを探していた様だ。
当時私は蜂の標本を作っていたので、もちろん蜂を採集していたが、同時に生態を観察する事も非常に好きだった。
40年近く前の事ではあるが、その時の葛藤はいまだに覚えている。
私は営巣場所探しをする蜂をネットにかけ、毒瓶に入れずに生かしたまま家に持ち帰った。
私にとっては既に名前は知っていたが初めて見る蜂で、標本のコレクションに加えたい気持ちも大きかったが、それ以上にこの蜂の営巣を見てみたかったのだ。
家に持って帰り、家の雨戸の戸袋の上に置いていた竹筒のトラップネストの口から、この蜂をそっと押しこんだ。
トラップネストの章で書いている様に、営巣場所探しをしている蜂を別の場所に連れて行って、既存坑に招き入れると、時としてそこで営巣を始める。
蜂はしばらくして中から出てきたが、すっと飛び去った。
営巣を始める蜂は、巣口の方を向きながら、弧を描きながら遠ざかったり、再び穴に入り直したりしてから飛び去るものだ。
私は「失敗した」と思い、少し後悔した。
当時持っていた図鑑には詳しい生態の記述は無かったので、ぜひその暮らしを見てみたかった。
その生態の詳細が描かれた書籍に出会ったのは10年ほど後だった。
岩田久二雄氏の著書「昆虫を見つめて五十年」にその生態が描かれていた。
その生態を自分の目で見るのは2008年の秋まで待たなければならなかった。
後年移り住んだ佐賀市の寺の境内で、柱の穴を探していたこの蜂に再会した。
その時はまだ低スペックだったデジタルカメラで写真を撮り、近辺での営巣を始めないか期待して見ていたが、そのうちに他所へ飛び去ってしまった。
その後何年か見かけなかったが、佐賀市内の旧郡部の山中で再び出会った。
木にぶら下げて置いた、竹筒のトラップネストに営巣していた蜂を見つけ、獲物や巣材の搬入を見ることが出来た。
日本のドロバチ科の蜂としては、唯一植物を巣材として使う。
サクラの葉などをハキリバチの様に切り取って巣材にするが、花粉と蜜の柔らかい混合物を入れる為に、育房がコップ状になるハキリバチとはもちろん違い、隔壁のみを作る。
ハキリバチと同じ様に葉を口にくわえ、大きさに応じて必要な数の肢で抱えて運んでくるが、ハキリバチの方は葉片の大きさの関係もあろうが、丸く曲げて抱えているのに対し、この蜂は水平に平面の状態のまま運んで来た。
既存坑の径に合せて切り取られた葉片を、坑道内に固定して何枚か重ね、最後には噛み砕かれた葉で塗り固める。
幼虫の餌には葉を巻く蛾の幼虫を狩るといわれ、実際蛾の幼虫を何度が狩って来て、巣に運びこむところを観察出来た。
蛾の種類などは確認していない。
この時は9月いっぱい活動していたが、8月ごろから営巣場所を探す姿は、その後も時々目にする。 |
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