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2000年の冬まで過ごした実家は、1980年代半ばに改築されるまでは今と同じ木造住宅ではあったが、祖父母が住む家とが左右対称な造りで分かれていた。
前の通りに面してカイヅカイブキの生け垣が植えられ、その内側に木の板の垣根が作られていた。
庭には大きなカエデの木があり、地面には適度な湿気と生き物の気配があった。
2000年頃までは仕事に追われて注意もしていなかったが、気がつくと地域からも我が家からも昆虫や小動物の姿がかなり少なくなっていた。
蜂の姿もクマバチやフタモンアシナガバチ、アカガネコハナバチ、それに労働寄生すると思われるハラアカハナバチの一種など、ごく限られた種類しか見られなくなっていた。
それからもたった年に2度の里帰りのせいもあって、年々姿を消していくのが目に見えて分かった。
先述の竹筒トラップネストを仕掛けたのは小学校の高学年の頃、「蜂の子こぞうの日記」に触発されてのことだ。
一節ずつに切った竹筒を数本束ねて、雨戸の戸袋の上に置いておくだけだが、屋根の下で雨がしのげるので、条件は満たしていた。
さほど待つこともなく、何種類かの蜂の営巣を見ることが出来た。
後年積極的に誘い込みをしないと、どの蜂も営巣しなくなったが、当時は放っておいてもどんどん営巣した。
もっとも思い出に残っているのがコクロアナバチ。
アナバチ科ツツアナバチ属に属するこの蜂は2センチほどの黒い蜂で、初夏から秋にかけて活動する。
私の蜂の原体験ともいえるもので、おそらく初めてトラップに営巣したのがこの蜂だったと思う。
昔は近所に野原などがまだ残っており、営巣環境はまだ良好だったのだろう。
そばで見ている間に、獲物のササキリやツユムシなどの、小型のキリギリスの仲間を、竹筒にどんどん搬入した。
獲物の搬入に先立って、巣材のイネ科植物などの枯葉を、数センチの長さのまま搬入し、竹筒の中で噛み砕いて隔壁にする。
黒い姿の蜂が獲物や巣材を、すばやく竹筒の中に搬入する姿を少年の私は、興奮して観察していた。
コクロアナバチが営巣したのは初夏の頃だったと思うが、竹筒のトラップネストには年中多くの蜂が営巣した。
ドロバチの仲間もミカドドロバチや、普通種のオオフタオビドロバチ、エントツドロバチも営巣した。
エントツドロバチは普通竹筒に営巣することは少なく、板壁のすき間や石灯籠の中などの閉 鎖空間を好むが石仏のまわりや鉄筋コンクリートの建造物の隅の部分などオープンになっているところにも営巣する。
古巣の利用率も高く、多くの雌の営巣期の最初の仕事は古巣の中の掃除だ。
石や竹の既存坑はそのまま利用することは少ない様だが、アメリカジガバチの古巣を利用した例を一度だけみたことがある。
ちなみにこの蜂の日本での個体群には雄は存在しない。
単為生殖をおこなうそうだ。
泥の巣は普通ヘチマの様な形をしており、出入り口には像の鼻のように垂れ下がった筒を取り付ける。
エントツドロバチの名の所以だが、元々はオオカバフスジドロバチもしくはオオカバフドロバチと呼ばれていた。
竹筒に営巣する時もエントツを取り付けるが、他のドロバチの様に竹筒の中を効率的に使用(隔壁で仕切るだけ)せず、育房の外壁を竹の内側に塗り付けた。
常にそうするのかどうかわからない。
ミカドドロバチは後年移り住んだ佐賀県では見たことが無いが、当時は普通に見られ、その巣は白黒写真に写され残っている。
朝夕肌寒くなる頃かわいい蜂が営巣した。
とは言っても当時は今より早く秋が訪れ、9月にはもう朝はすずしく感じたので、思うほど秋がふかくなっていなかったのかもしれないが、ツツヒメハキリバチという1センチ足らずの小型の蜂が花粉をいっぱいおなかに付け、コロコロした感じで竹筒にはいっていく姿はとても愛らしいものだった。
夏から秋にかけて発生し、クコの花やマメ科植物の花を訪れ、植物(主にマメ科植物)の葉を切り取り、育房を作る。
既存坑を利用して営巣するこの蜂は、他の地中に営巣するハキリバチに比べ利用する葉片の枚数が少なく、効率的に営巣するらしい。
夏が来ると、営巣場所を探すこの蜂の非常に高い羽音が印象に残っている。
風物詩の一つだった。
ハキリバチ科の蜂はその他にも、オオハキリバチやバラハキリバチが営巣した。
オオハキリバチはその後、借り物を含めてまともな撮影機材を使えるようになって、その営巣の様子を撮影している。
オオハキリバチの巣は大学生になってから、おもしろい方法で観察した。
竹筒や木の穴などの地上既存坑を利用して営巣する習性を、借坑性(しゃっこうせい)と呼ぶそうだ。
そして自ら地面や木などに穴を掘ったり、土などの巣材で育房を形作る習性を、前者に対して築坑性と呼ぶ。
前者の借坑性の蜂を呼び寄せるのが、竹筒のトラップネストだが、私はただ呼び寄せるだけでは面白くなくなった。
巣作りの様子が外から観察出来る様な、トラップの作成に取りかかった。
大学入学前の冬のことである。
まず巾30センチほど、長さ80センチほどの木の板を用意した。
その上に同じ厚さの巾の細い板を、数ミリから1センチほどの間隔をあけて、木工用ボンドで何枚も並べて貼り付けた。
その上に全体を覆う大きさのガラス板を、木工用ボンドで貼り付けた。
結果、板のすき間が坑道になる。
坑道となるすき間の片側は板で塞ぎ、反対側にはすき間と位置を合せて穴をあけた板を貼り付けた。
これが蜂の出入り口だ。
ガラス板の上にはスライド式に開閉出来る板を取り付け、蜂が進入して来た時だけ中が観察出来る様にした。
私はベース板の裏側にも同じ様に板を並べ、ハーモニカの様に両面に営巣スペースを作った。
当時母屋の前にカエデ木があった庭の上に増設したプレハブの建物が、私と兄の部屋だったが、部屋の窓を開けて、簡易式のクーラーの様に取り付けた。
当時の1980年代初め頃、実家の周りの環境は、まだまだ致命的というほど劣悪なものでは無かった。
しかし木造の母屋の前に建てられたプレハブの部屋は、放っておいても様々な蜂が訪れるほど、自然でひなびた感じでは無かった。
オオハキリバチも営巣させるため、他の場所から捕って来た。
営巣場所を探して、柱のほぞ穴などに入ったりしていた蜂を捕虫網にかけ、トラップの入り口から押しこんだのである。
この様な試みは度々行ったが、いつも成功した訳では無かった。
オオハキリバチはラッキーな例の一つなのである。
オオハキリバチはハキリバチ科に属してはいるものの、「ハキリバチ」とは名ばかりの、針葉樹の樹脂を巣材に使う蜂だ。
巣材の搬入や、花粉と蜜の搬入を観察させてくれた。
この蜂は針葉樹の樹脂を坑道内に塗り付け、花粉と蜜を蓄え産卵した後、同じく樹脂で隔壁を作る。
隔壁には樹脂以外に、木片や土なども利用する。
巣の抗道の径が細い場合でも餌を貯蔵する部分の内壁には、必ず樹脂を塗布するが、観察トラップの坑道は構造上四角い穴になる為、角の部分は思い切り樹脂で埋めてあった。
おかげでガラス面は樹脂だらけで非常に観察しにくい種ではあった。
帰巣した時、最初に頭から入ってきて蜜を吐き、後ずさりして巣の入り口まで戻り、今度は方向転換して腹部から巣穴に入り、スコパと呼ばれる腹部腹面にある花粉蒐集用の体毛に集めた花粉を、後肢で落とす様子を見にくい中で観察した。
しかし不明瞭ながらでも、巣内の蜂の動きが観察出来ただけで、私はおおいに満足した。
観察用トラップに連れてきた蜂はまだいる。すぐ近くに神社があり、古い柱には昆虫の脱出抗が数多くあった。
小さな穴にはイスカバチの一種が、営巣していた。
1センチほどの穴になるとネジロハキリバチという、これもハキリバチ科に属する1センチ半ばの蜂が営巣場所を求めて来ていた。
黒い蜂で、腹部の前の方と胸部の後の方は白い微毛をまとい、美麗種として図鑑などにも紹介されている。
この蜂も網にかけ、トラップの入り口から強引に押し込んだ。幸運にも営巣を始めた。
この蜂も前種オオハキリバチと同属のカリコドマという属に含まれ、葉は切らずにやはり針葉樹の樹脂を巣の隔壁に使う。
前種と違うのは、この蜂は木くずや土などかさ増やしは使わずに、樹脂100%で営巣する。
頻繁に板を開けて観察していたのがいけなかったのか、1育房を完成させて、帰巣しなくなった。
この蜂に関しては、私自身の記憶がはっきり残っていないのだが、他の記録もある。
竹筒に作られた巣で、写真も残っている。
観察用トラップに差し込んだ竹に営巣したもののようだ。
樹脂だけで仕切られた育房の中には、花粉団子に産み付けられた卵も写されている。
特製の観察用トラップでは大学1回生の年に集中的に観察し、多くの蜂を写真にも収めたが、2年目も同じように続けたがどうかは記憶が定かではない。
最初に営巣させ観察したコクロアナバチが、元々思い入れが強かった事もあり、一番私の興味をひいた。
先述の竹筒のトラップネストに初めて営巣したのがこの蜂だったと記憶しているが、営巣時期になると近所の神社の軒下を、よくこの蜂が営巣場所を探して飛んでいた。
竹筒などを好んで選ぶこの蜂は、言うまでも無く借坑性の種だが、営巣環境にはかなりこだわりが無い。
屋根瓦の隙間などを物色しているのはよく見かけたし、ネギの葉に営巣したという例を文献で見たことがある。
後年レンガの隙間や、ゴムチューブ、鉄パイプで出来た大型のコンプレッサーの足やコロコンの軸などに営巣したのを私自身見たことがある。
地面に落ちている竹筒に入って調べているのを見たこともあるし、位置も材質も内径もかなり融通が利く様だ。
この蜂も観察用トラップネストを勝手に見つけて営巣を始めたものでは無かった。
記憶は定かでは無いが、おそらく近所の神社の軒下で営巣場所探ししているのを網にかけ、そのままトラップネストの入り口から押し込んだ。
穴の中に入った蜂はしばらくすると出てきて、巣穴の周りを定位飛行して飛び去った。
私は「巣を作る」と直感した。
はたして蜂はしばらくすると、巣材である枯れた稲科植物を葉を数センチの長さに切り取り、魔法使いがほうきにまたがる様な格好で帰巣した。
その時私は出来上がった巣はすでに何度も見て来たので、獲物を蓄え産卵してから巣材で仕切るものだと思っていた。
まず巣材を持ち帰ったのが意外だった。
巣内に入った蜂は巣材を奥まで運び入れず、中ほどよりやや入り口寄りのところに、さほど細かくかみ裂くこともせずに置いていった。
巣材を運び込み始めてから、私は巣材を採るところも観察したいと思い、すぐに枯れ草を採ってきて、部屋の前にあるみかんの木にぶら下げた。
蜂は目ざとく見つけ、枯れ草にぶら下がる様に取り付くと、大あごで噛み切り始めた。
もう葉が切れる寸前になると翅を振わせ始め、切れたとたんに飛び立つ。
何度この作業を繰り返したが記憶していないが、ついに枯れ草に見向きもせずに飛び去った。
今度は狩りに出かけたのだという事は想像出来た。
何分くらい待ったかは覚えていないが、小さなササキリを持ち帰った。
巣内の枯れ草を置いた位置まで獲物を運び入れると、そこから手ぶらで巣の奥まで進んだ。
奥から体を反転させ獲物のところに戻り、今度は獲物の触角の根元をくわえ(触角は狩りの後切り取る)後ずさりして巣の奥まで運んだ。 
そして仰向けになり最期は脚を使って巣の奥に送り込んだ。
そしてこの最初の獲物に産卵するのだが、卵を産み付けられた獲物の写真だけあって、産卵する姿は写真に残されていない。
産卵後次の獲物の狩りに出かける前に、搬入しておいた枯れ草をさらに細かく噛み砕き、奥へ押し込んでいく。
仮閉鎖の状態になった。
この時追加で枯れ草を搬入したかどうかは覚えていない。
その後獲物の搬入を繰り返す度に、仮閉鎖の隔壁は奥へと移動して行った。
そして最初の育房の餌を搬入し終わった時、隔壁は完全に奥に押し込まれ餌と密着する。
この時は間違いなく巣材を追加で搬入した。
この時のコクロアナバチの観察はここまでだった。
最初の育房の隔壁を作り終えてから、蜂は帰巣しなくなったのである。
理由はわからないが、帰巣の度頻繁にトラップネストの扉を開閉し、明かりが入ったために警戒したのか、またはすぐそばに良い狩場が無かったからかどちらかが原因であろう。
他にも覚えているのは、オオフタオビドロバチだ。
この蜂は勝手に巣作りを始めた。
スズメバチ上科ドロバチ科に属する蜂で、この種の蜂の中では、最も普通に見られる。
自然の環境でも地上既存抗を営巣場所に選び、木の穴や土で出来た他の蜂の古巣などいたる所に営巣する。
電柱の足場用の穴が土で塞がれているのはよく見かける。
蛾の幼虫を狩り、巣に貯えていくが、産卵は狩りに先行して行われる。
透けて見える観察用トラップで、産卵は観察することが出来た。
存外時間をかけて行われた記憶があるが、巣の天井から糸状の物質を引いて、卵が産下された。
貴重なシーンは写真にも収めた。
続いて蛾の幼虫を次々に搬入していったが、知っている蜂の中では、巣材や餌の搬入ペースがこの蜂とハキリバチが頭抜けて早くて安定しており、見ている間に戻ってくる感じがした。
育房の隔壁にはその名の通り、土を使った。
ドロジガバチの仲間や、ヒメクモバチと違い、湿った土である必要はない。
他の場所で水をたらふく吸い込んできて、気に入った土質の場所を選ぶと、水を吐き出して濡らし、泥団子を こねあげる。
観察とラップは板にガラスを貼って作った為、構造上どうしてもガラス板と木の板の間には隙間が出来た。
前述のオオハキリバチもそうだったが、この蜂も巣穴の角の部分に土を塗り付けて隙間をうめたので、泥だらけの巣になった。
同じドロバチ科の蜂ではキオビチビドロバチも、細めの設定の穴に営巣した。
色彩や形は似ているが、2p近くのオオフタオビに比べ、この蜂は1pほどで、巣作りのパターンは同じだ。
餌も蛾の幼虫だが、サツマイモの葉を巻いているイモキバガの横縞模様の幼虫を、よく狩ってくる。
オオハキリバチやネジロハキリバチは、ハキリバチとは名ばかりのヤニバチだが、本当に葉を切る前述のヒメツツハキリバチも、観察用トラップにも巣を作った。
この蜂ももともと民家やその周辺の建材の穴や、窓のサッシと壁板の隙間など既存抗に巣を作るので、トラップには勝手に巣を作ってくれた。
トラップ外でもよく巣作り中であったり、巣作り場所を探して甲高い羽音をたてるこの蜂を見かけた。
ヒメツツハキリバチは、当時チビハキリバチと呼ばれていた。
適切な手続きを踏んで改名されたものであろうが、私の様に長く愛好家をやっていると、あまり名前が変わるのは違和感を感じる。
コオロギバチ属とハヤバチ属は、その昔どちらも○○トガリアナバチと呼ばれていた。
コオロギバチの一種で、かつてクロヒメトガリアナバチと呼ばれていた蜂がおり、今オオハヤバチと呼ばれている日本最大のハヤバチは、かつてはシンプルに「トガリアナバチ」と呼ばれていた。
10代の時に採集した標本のラベルには、トガリアナバチと書かれている。
ヤマトコトガタバチはミツメトガリアナバチだった。
つまり分類学史上、分類の精度を上げ整理していく過程で、かつて近いグループとして同じ名で呼んでいたものを、和名を分けることではっきり区別したいという意図が、まず一つあるようだ。
もう1つは、モンクモバチはナミモンクモバチに変わるなど、ナミやヤマトなど頭に付けて、属するグループの中の一種として、グループの名前とはっきり区別させようというもの。
他は異名同種「シノニム」と呼ばれるものがあるが、分類という学問にはついてまわることだろう。
残念ながら、私の様なただの蜂好きオヤジは、「分かっていることを教えて欲しい」という都合のいい好奇心しか持ち合わせていないのである。
最近ではベッコウバチをクモバチに変えるように提唱されて、標準になっていく動きがある。
故岩田久二雄氏をして悪名と言わしめた様に、実際に代表種であるベッコウバチ以外に、鼈甲色をした種類は少なく、地味な色した狩り蜂の一群だ。
むしろ労働寄生種以外、全て蜘蛛を狩ることから、クモバチの方が適切な呼び名だという。
全く正論であり、合理的な意見で、異論の余地は無い。
しかし、私は個人的にベッコウバチという呼び名の方が好きだ。
永く呼び習わされ定着した和名には理屈抜きの愛着ができる。
命名の歴史ごと引き継いでいくおおらかさは、学問の障害にはならない気がする。
話がそれたようだ。
元チビハキリバチこと、ヒメツツハキリバチの話だった。
前にも話したがこの蜂は母屋の前に、兄と私のプレハブの部屋が出来る前の、雨戸の戸袋の上の竹筒トラップに営巣をしていた頃から、毎年夏になると家の周りで活動する、1センチ未満の小さなハキリバチで、黒地の体に白っぽい微毛をまとい、腹部には細い白帯がある。
植物の葉を切ってコップ状の育房を作り、竹筒などの既存抗内に並べていく。
中には花粉と蜜を混合物を蓄え、産卵する。
葉は何でもよい訳ではなくて、しなやかで適度な弾力が必要なようだ。
他のハキリバチと同じように、マメ科植物などを好んで利用するようだが、観察機会が少なく全容を明らかにすることは出来ない。
ちなみに、他のハキリバチが利用する植物で、当時確認できたのは、バラハキリバチの園芸種のバラ。
ヤマトハキリバチはカエデと百日紅だった。
後年バラハキリバチが桜やナツフジを切るところを観察したし、ツルガハキリバチはノイバラやヤマイモにクズ、キバラハキリバチはクズとノアズキ、種類は分からないが、切り跡を見つけた植物は、イヌビワやハギがある。
ヒメツツハキリバチは当時ヌスビトハビを葉を切るところを観察したが、バラ科植物と思われる葉を切る写真が残っている。
ハキリバチの仲間は葉で育房を作り、周囲をある程度密閉できる性質上、巣に利用する穴は
外界からきれいに密閉された坑道である必要が無い。
ヒメツツハキリバチは民家の建材の穴などに営巣するのがよく見られ、山野や林の中の立ち木の穴の中に営巣する姿は、未だ見たことが無い。
皆無ではないのかも知れないが、人工物を利用することが多いことは間違いなさそうだ。
対照的にオオフタオビドロバチは同じ様に民家の周りの既存坑に営巣し、やはり人の生活と密接な存在なのではないかと思っていたが、後年佐賀県で山林や雑木林の中にトラップを仕掛けると、あっという間にこの蜂に泥で塞がれるのを経験した。
ヒメツツハキリバチはそんな性質上、何の勧誘作業の必要もなく観察用トラップに営巣を始めた。
トラップを設置した窓のアルミサッシが、外壁のベニヤ板にかぶさってベニヤ板の継ぎ目が、
丁度穴の状態になっていたのだが、そこに営巣している個体もいた。
葉を切って巣内にもどって来ると、あまり軽やかとは言えない足取りで、抗道を奥へと進む。
短い足での歩行は、むしろある種の甲虫類に近い気がする。
せっせと休むことなく葉を運び込み、葉のコップを作るが、実際に育房に必要な大きさと抗道の径の差を埋めるため、数枚の葉を要する。
直接花粉と蜜を蓄える育房は、葉と葉を密着させ餌の漏れが無いように作られている。
岩田久二雄氏によれば、この種がもっとも使用する葉の枚数が少ないそうだ。
餌を貯蔵する作業は、他のハキリバチと同じだ。
腹いっぱいに蜜を吸い、スコパと呼ばれる腹部腹面にある花粉収集用の毛いっぱいに花粉を付け、巣に戻ると、巣穴から普通に頭から進入し、葉のコップにたどり付くと、その中に蜜を吐き出す。
吐き終わると後ずさりして、抗道内で方向転換できない場合は入り口まで出てきて、今度は腹部から逆さに進入する。
育房の中に後肢を使って花粉をこすり落とす。
短期間で観察用トラップに数個の育房を完成した。
別の年には、アクリル管を使ったトラップを作成したが、これにも営巣した。
木の箱に2つ穴をあけ、2本のアクリル管を差し込み、奥には木の栓をした。
木箱の蓋は開閉して観察出来る様にして、部屋の中にあるカラーボックスの上に置いた。
朝になると窓を開け、一日中開けっ放しにしておいたら、数種の蜂が営巣したが、その内の1種がこの蜂だった。
透明なアクリル管の中を、とまどうこと無く営巣し、育房をきれいに並べていった。
観察用トラップに営巣した蜂を観察する時は、帰巣と同時にかぶせて置いた板を開け
観察したり撮影したりしたが、動作を止めることも無く営巣活動を続けた。
ネジロハキリバチや、コクロアナバチの様に、1育房を完成した後、帰巣しなくなった蜂がいたが、
理由は定かではない。
あるいは度々明るくしたことに警戒してのことかもしれない。
少なくとも、このヒメツツハキリバチと、あとで紹介するジガバチモドキは巣を完成させた。
この蜂は民家の周りに営巣し、常に人の生活のあるところで活動していることは話したが、20年後にも帰省時に、庭の花に来ていたのを見ることが出来た。
町内の別の場所でも、百日紅やクコの花に訪花する姿を見た。
全く姿を消した蜂が多い中で、しぶとくけなげに生き残っているのは、もともと人と生活の場を
共にしてきたからかも知れない。
このアクリル管の観察用トラップには、ヒメツツハキリバチ以外には2種類の蜂が営巣した。
前述のキオビチビドロバチと、ジガバチモドキである。
キオビチビドロバチは、オオフタオビドロバチとほぼ同じ生活史を持つ。
前に述べた通りであるが、透明のアクリル管の中は3方向から見ることが出来るため、蓄えられた蛾の幼虫や、卵が天井からぶら下がっている様子がよく見えた。
蛾の幼虫は、これは周知のことと思われるが、死んでおらず麻酔を施されているだけで、排泄は続けられる。
アクリル管の内壁には、いくつかの糞がついているのが外からもよく見えた。
ジガバチモドキは、ジガバチの名を冠してはいるが、さほど近縁ではない。
ジガバチがアナバチ科に属するのに対し、ジガバチモドキはギングチバチ科ケラトリバチ亜科に属するという。
素人目には、顔などはケラトリバチの仲間より、ギングチバチに似ている気がするが、専門的に分析するとちゃんとした形質的な裏づけがあるのだろう。
ジガバチモドキと呼ばれる所以は、その色彩と腰細のスタイルからであろう。
黒を基調として、柄の様に長くて細い腹部の根元は赤い色をしており、ジガバチのそれと同じである。
この蜂はヒメツツハキリバチの様に、民家の周りでよく見られる。
窓を開けていると室内にも入ってきて、営巣場所を探す姿をよく見かけた。
ジガバチモドキが狩る獲物は蜘蛛だが、とりわけ多いのがハエトリグモの仲間だった。
他の種類の蜘蛛を狩るかどうかは分からないが、文献をひも解くと、ハエトリグモを中心に狩ることがはっきり書かれている。
ハエトリグモを狩ることは、この蜂の営巣場所と狩りの場所がかなり近い距離で結ばれることを意味する。
ハエトリグモは当時実家の木の外壁に、シラヒゲハエトリを中心に多数が生息していた。
この蜂は、前述のように家の周りで活動し、柱の穴などの営巣場所を探したり、家の外壁に沿って飛び、獲物を探す姿がよく見られた。
あけっぱなしの窓から入り、カラーボックスの上のトラップを見つけるのに、さほど労力を要しなかったであろうことは容易に想像がつく。
自分の体と比べ、あまり大きくないハエトリグモを楽々と抱え、素早く飛んで帰巣してきた。
コクロアナバチの様に、巣材で奥の育房を一時閉鎖したりはせず、進行方向を向いたまま巣内に進入し、奥の部屋まで蜘蛛を運び込み、数匹を搬入して産卵する。
コクロアナバチや、他の多くのアナバチは、一番最初に搬入した獲物に産卵するが、ジガバチモドキは、違うようだ。
どの様に観察していたかは、もう記憶に残っていないが、産卵する様子を写真に収めている。
腹部の先を巣の奥に向け、1頭の蜘蛛に産下する姿をカメラは写し出しているが、前後の写真の様子から蜘蛛は最後に搬入されたものに違いなかった。
全ての育房の観察を全てした訳ではなかったので、最後の獲物に必ず産卵するかどうかは確かではない。
産卵された蜘蛛の、育房内の位置から察するに、少なくとも最初の獲物に産卵することは無いようだ。
全ての獲物を搬入し、産卵を終えると育房を隔壁で仕切り始める。
近くの地面から土を丸めて、団子にしてから運び込んできた。
アクリル管の内側にリング状に土を盛って行き、徐々に内側の狭めていく。
最後の穴を塞いで壁にしたら出来上がりだ。
この後蜘蛛の搬入と産卵が、続けて行われる。
数部屋が作られ、最後に竹の入り口を2重の隔壁で塞ぐと巣の完成だ。
アクリル管等を使った、外から見えるトラップのメリットは営巣の観察だけでは無い。
卵が孵化し、成長していく様子も見ることが出来た。
かなり早く成長し、蜘蛛をもりもり食べて成長(老熟という)した幼虫は、繭を紡ぐ。
この蜂の出来上がった繭の形は知っていた。
細長い、丁度野球のバットのような形で、しかもバットの根元の丸くなった部分も同じ形だ。
実はそこは糞する場所である。
私はこの蜂の繭は、多少前後の太さだけが違う単純な形に出来上がり、糞の部分のくびれは、
幼虫が糞をした時に、その水分で繭と融着した際に形作られるのだと思っていた。
しかし、繭が出来上がっていく過程を外から観察していると、幼虫はこの微妙なくびれを器用に糸で紡いだのだった。
特殊なトラップで蜂を観察したのは、大学生になってから、ほんの2−3年の間で、数例の営巣を観察したに過ぎなかった。
しかし竹筒を家の周りに仕掛けて、多くの蜂が営巣したりまたは営巣場所の物色に訪れるのを見ることが出来た。
バラハキリバチは営巣して巣の写真も残っている。
ルリジガバチも来ていたが、残念ながら営巣の観察はしていない。
私の蜂好き人生は、竹筒に営巣する蜂から始まったのだ。
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アクリル管の中を蜘蛛をくわえて進むジガバチモドキ。
室内のカラーボックスの上に置いたトラップネストに営巣するジガバチモドキ。
アクリル管で作った観察用トラップネストに作られた、ヒメツツハキリバチの巣。
観察用トラップネストの中で産卵するオオフタオビドロバチ。
左は最初の獲物を搬入した後、仮閉鎖の隔壁を作るコクロアナバチ。右は獲物を後ずさりで引き込むコクロアナバチ。
竹筒の中に作られたネジロハキリバチの巣。
花粉団子と卵が見える。
観察用トラップネストの中で作業するオオハキリバチ。
板にガラスを貼り付けた観察用トラップネスト。
1980年頃。
佐賀市富士町市川の山中に仕掛けたトラップネスト。
アルマンアナバチが巣材を搬入する。
紡ぎ上がったジガバチモドキの繭。
糞をする場所がちゃんと形作られている。
アメリカジガバチの古巣を利用して作られたエントツドロバチの巣。