生家の周りの蜂達

竹筒のトラップネストや、観察用の仕掛けなどにすぐ蜂が営巣するのだから、当時の我が家の周りは、常に多くの蜂や生物が生息する環境だったのは間違いない。
トラップネストに営巣しなかった蜂との出会いも多くあった。
改築前には大きなカエデの木が1本あった。
夏になると派手な色のイラガの幼虫が多く発生し、子供の時父が剪定している木の下にいて、手元のアイスキャンディーにイラガの幼虫の直撃を受けたことを思い出す。


木の下の地面は、いつも適度な湿気があり、いろいろな小動物や昆虫の気配にあふれていた。
春になると、珍客来た。
ニッポンヒゲナガハナバチである。
この蜂は体長に対して、横幅が短くずんぐりとした格好で、1センチ半ばほどの大きさの蜂だ。
胸の部分には淡い褐色がかった短い毛が有り、腹部には境界線の不明瞭な褐色と白の微毛の帯が有る。
特徴的なのは、雌と雄の性差だ。
雄の触覚は雌に比べ異常に長く、体長より長い。
この雄蜂は近所の畑のソラマメの花に、早春から訪れていたし、よその家の庭には多くの巣穴が掘られているのを見ていたので、珍しい種類ではなくむしろ普通種なのだが、私が高校生の頃だったと思うが、庭に巣穴を掘っているのを初めて見つけた。
縁側から眺めていると、高い羽音をたてて巣穴に戻ってきた。
何日かして巣穴を掘ってみた。
30センチ以上掘っただろうか、巣の坑道より少し巾の広い楕円の育房があった。
坑道も育房も表面は非常に滑らかで、蜂によって舐められたものである事は明らかだったが、表面になにか塗られているのか想像できなかった。
蝋の様なものが塗られているのかもしれなかった。
粘度の低い花粉と蜜の混合物が蓄えられ、その上にジェリービーンズを細長くしたような形の白い卵が産み付けられていた。


庭の垣根は、東側は雨戸の戸袋の脇から北は家の前の道に面して、西側は玄関先まで三方を板で囲み、玄関の脇にある同じ板で出来た簡易な扉で出入りできた。
玄関先には垣根に面して板を並べて植木鉢の台を作り、ツツジなどの鉢が並べられた。
夏には小型の黒いクモバチが、鉢の周りをうろうろしたが営巣活動は観察出来なかった。
今となっては種類を憶測することも出来ない。
私が子供の頃は家はまだ改築前で、2世帯の家が左右対称に建てられており、隣には叔父の家族が住んでいた。
庭も同じ作りで、同じ様に鉢植えも沢山あった。
その鉢の中に小さな蜂が木の葉を切っては運び込んでいるという叔母の話を、垂涎の思いで聞いていたのを思い出す。
種類はおそらく、バラハキリバチか、ツルガハキリバチだったのだろうと思う。
両種とも既存坑に営巣するが、地上地中問わずあらゆる環境に営巣する。
もちろん竹筒などにも営巣するが、地面に開いた穴にも営巣する。
しかし自ら地面に穴を掘ることはしない様だ。
後年タナグモの一種の巣の住居部の、糸のトンネルを利用して巣を作るところも観察した。
立ち枯れた竹の横に開いた、おそらくカミキリムシかなにかの脱出坑から葉を運びこむところも見たことがある。
中のスペースはかなり広いはずだが、同様にかなり径の広い竹筒や、物のすき間に営巣する例は度々見る。
スペースを充填する為の葉片は、かなりの枚数を利用していた。


庭の垣根の板は年季が入っていて、表面にうっすらと地衣のようなものが付いていた。
その板の表面に、まだ蜂にそれほど入れ込んでいない時から、すでに蜂の巣を発見していた。
ムモントックリバチの巣で、季節は覚えていないのだが直径1センチ半ばほどの土の塊に、地衣のようなものがこびりついた物体を幾度か見かけた。
それはいつの頃から認識し始めたのかは忘れてしまったが、垣根の板の表面に付着した前述の土の塊を手でつぶすと、中から青虫が出てくるという経験を、子供の頃何度かしていたのだ。
いつしか、これは蜂の巣なのだと理解したが表面に付いた地衣の様なものが、蜂自身が塗り付けたものか
後から周りの地衣が覆いかぶさったのかは知らなかった。
ムモントックリバチは、初夏から秋にかけて活動し、他のトックリバチの仲間と同じように、トックリ型の育房を土で作る。
育房は石の表面のへこんだ部分に、稀な例外を除いて1つずつ作られる。
トックリの首の部分に開いた2ミリあるかないかの小さな穴から狩って来た蛾の幼虫をぐいぐいと押しこむ。
先に紹介した、オオフタオビドロバチと同じように狩りに先立って産卵し、餌が育房いっぱいになると、
トックリの首の部分を取り去り、穴を塞ぐ。
この種はこの後、土とは別の材料を丸めてきて、塞いだ育房の表面に塗りつけるという他種には見られない習性を持つ。
このことを知ったのは、高校生になり、家のカメラを借りて、まがいなりにも蜂をマクロ撮影して楽しむようになってからだ。
そしてこの蜂が最後に塗りつけるための材料を、建材の木の表面からかじりとるのを確認したのは、
それから約30年たった佐賀の地だった。
必ず木のパルプでないといけないのか代用品の選択肢が広いのか(地衣や草本など)はまだ分からない。
今にして思い出せば、営巣された垣根の板の状況は、この蜂にしてみれば少し珍しい環境だった。
この蜂は基本的に他のトックリバチと同じ形の巣を作るが、先に述べたように巣を作る場所は少し違っている。
他種ならば木や草や石に作るにしても、球体に仕上げるところだが、この蜂は石や石碑に刻まれた字など、凹んだ部分に巣を作る。
極端な表現をすれば、凹みにフタをするように巣を作る場合が多い。
へこみの空間を有効利用し、巣作りの労力を節約した賢い方法だ。
外観はむしろトックリというより、穴のあいたナベブタだ。
しかし私が子供の時に垣根で見た巣は、平面の板に付けられていた。
子供の時の記憶だから、もしかしたら営巣場所に選ばれるべきポイントがあったのかもしれないが、今となっては確かめられない。
ムモントックリバチと近縁にあたる蜂も巣を作った。
スズバチという紛らわしい名前で、スズメバチと間違えそうだ。
昔は他のトックリバチと同じ属に含まれたが、別属に分けられた。
体長は3センチほどもあり、ムモントックリバチの倍ほどある。
巣も大きいのは当然だが、この蜂は複数の育房を一か所に作り、完成後全体を上塗りするので、さらに大きく見える。
この蜂が裏の風呂場の窓の脇の壁に巣を付けているのを見つけた。
まだ小学生か中学に上がりたての頃だったと思うが、当時はものすごく珍しいものを見つけた気分になった。
時はすでにそれがスズバチの巣だということはわかっていたが、実際に見たのは初めてで喜び勇んで壁から引き剥がした。
上から重ね塗りを施された土の巣は触っても硬いのがわかったが、壁からはさほどの苦労もなく剥がすことが出来た。
巣は数個の育房から成っており、全体の形は逆三角形になっていた。
育房の中にはすでに成長した幼虫が入っており、餌の蛾の幼虫は食べ尽くされていた。
家の裏は駐車場になる前は畑があり、我が家も畑を借りていろいろな野菜を栽培していた。
秋にサツマイモを掘ると、土の中からミミズやムカデ、エビガラスズメという蛾の蛹が出てきて身をよじらせてうごめいたりしていた。
この蛹の口元にある吻になる部分は渦巻きになっており宇宙人のように見えておもしろかった。
開発も昭和40年代はそれほど大がかりではなかったし住宅が散在する合間には土と緑がまだ見られた。
家の裏の壁を蜂が巣作り場所に選んでも、餌場には困らない環境だったのだ。
その後この巣の中の幼虫が蛹になって羽化したのかどうかは記憶に残っていないが、巣の方はしばらくの間は宝物のように箱に入れ、他の蜂の土の巣と一緒に写真にも残している。


同じ壁の上でセナガアナバチという蜂もよく見かけた。
蜂の標本の数も少し増えてきた、少し後の時期だったと思う。
全身が青っぽい金属色で、後肢も腿節だけが赤い色をしている美しい蜂だが、前胸部が前に伸びた独特の体形をしており、「セナガ」の名の由来になっている。
この蜂は裏の板壁の上を、無目的な感じで歩きまわる。
ある種のアナバチやクモバチの仲間にはよく見られる、すっすっと一定のリズムで進んでは止まる歩き方をする。
この蜂は子供の餌としてゴキブリを狩り、巣は作らずに狩ったゴキブリを箸箱のような物陰に引き込んで産卵するそうだ。
裏の壁は風呂場の窓の脇であったが、台所から通じる裏口の脇でもあった。
獲物のゴキブリの生息するところに集まっていることは想像できた。


庭には先に話したようにカエデの木があり、イラガの幼虫が大量発生したのには閉口したが、縁側からみる眺めは悪くなかった。
なんでもない景色をぼーっと眺める癖があった私は、カエデの木の下でいつもホバリングしているヒメイエバエの姿を目で追っていた。
なわばりを持っているのか、接近する個体を追い払うようにつっかかていっては元の位置に戻る。
かなり長時間ホバリングを続ける姿はハエらしからぬ印象を与えたが、私にとってその姿は、新緑の季節の風物詩になっていた。
嬉しいことにカエデの若葉を訪れた客の中に、蜂の仲間もいた。
ヤマトハキリバチというハキリバチの仲間で、子供の頭上1メートル余りの所に広がるように茂ったカエデの葉に、数匹と思われる固体が訪れ、葉を器用に切って行った。
その頃はまだこの蜂の営巣環境を知らなかったので、
どこにその葉を持ち帰るのか分からずにいた。
後年私は家の屋根瓦の下の土にこの蜂が営巣しているのを知り、屋根の上に登っておそるおそる瓦を下を観察し葉巻の列を見つけることになる。


蜂にはまり始めた頃は、むしろアシナガバチなどの社会性の蜂よりも、単独性の蜂に強く興味を引かれた。
しかし、いつの頃だったか忘れてしまったが、アシナガバチの巣をよく観察していた時期があった。
その頃は近所の民家の軒下の、いたる所にアシナガバチの巣があった。
多かったのはフタモンアシナガバチとセグロアシナガバチだったが、フタモンの方は使われないで積んであるコンクリートブロックの中や、草の枝などにもよく巣を作っていた。
私は蜂をその巣ごと全部捕えてきて、手作りの小さな木箱に取り付け、眺めていた。
2−3回同様の引っ越しを敢行し、その度じっと眺めて悦に入っていた。
新しい所でも蜂たちは、ちゃんと巣の場所を覚えて帰ってきた。
青虫の肉団子を作って持ち帰り、幼虫に与えているところなどを観察できた。
しかし、人の通る垣根に取り付けたので、大ひんしゅくを買い、他所に開放しに行った。
しかし基本的に、小学生から大学生にいたるまで私は、単独で巣作りをする蜂の方に興味を持っていた。


家にはその他にもいろいろは蜂が来ていたに違いないが、全てを見ることは出来なかっただろうと思う。
見落としてしまいそうな、小さな蜂もいたからだ。
夏になり縁側によしずをかると、その切り口に、筒に巣を作る借抗型の蜂が巣を作った。
ジガバチモドキや、キオビチビドロバチに混じってメンハナバチの一種が巣を作った。
メンハナバチはムカシハナバチ科という、ハナバチの中では原始的な特徴を示す蜂の仲間で、概して黒い体色を呈し、7ミリ以下の小型種が多い。
粉の運搬方法も他のハナバチとは違い、体には付けずに、口から飲み込んで運ぶそうだ。
よしずを割ると透明なオブラート状の物質の中に、流動性の高い花粉と蜜の混合物が貯えられ、産卵されていた。
育房ごとに隔壁で仕切られていたが、隔壁の材質は分からなかった。
家で営巣しているのが見つかる前から、近所で細い竹筒などに営巣しているのを観察したし、成虫も採集した。
ネットにかけて毒瓶に移す時、中型以上の蜂なら直接触れたりしないのだが、この蜂のように7ミリを下回る
小さな蜂だと、刺されても痛くないだろうと思い、ネットの中で指でつまんで毒瓶の中に入れてしまう。
その時、この蜂は必ず柑橘類のような甘酸っぱい独特な芳香を出した。
それが毒の成分によるものかどうかは分からないが、私はこの経験は何度もしたので、他の蜂とは異なる性質を持っているような気がしていた。
理由や目的は未だ分からないし、文献に同様の記述を見たこともない。(注)







注:後年坂上昭一・前田泰生共著の「独居から不平等へ−ツヤハナバチとその仲間の生活−」の中にツヤハナバチがほとんど刺さず、強烈なレモンもしくはジンチョウゲの香りを発散するという記述を見つけた。
ツヤヒメハナバチ属(メンハナバチの旧称)とチビキバナヒメハナバチ(現在のキバナヒメハナバチ)が同様の香りを発するという。
ツヤハナバチは大顎腺からこの匂いを発し、威嚇に一役かうのではないかということだ。
   
     

屋根瓦の下に作られたヤマトハキリバチの巣。

カエデの葉を切り取るヤマトハキリバチ。

立ち枯れた竹の中に葉を運びこむ、ツルガハキリバチ。

葉片を運びこむツルガハキリバチ。
タナグモの一種の巣の中に作った珍しい例。

育房に蓄えられた餌に産み付けられた卵。
写真はシロスジヒゲナガハナバチのもの。

巣穴に戻ってくるニッポンヒゲナガハナバチ。

よしずの中に作られたメンハナバチの一種の巣。
卵が見える。

少年の頃採ってきた土の蜂の巣。
右の大きいのがスズバチの巣。 

完成した巣に、木の繊維を塗りつける、ムモントックリバ