池のほとりの蜂達

実家から歩いて徒歩10分足らずの所に、蓮池という池があった。
近所にある神社の鳥居をくぐり、田畑に挟まれた細い道を南に下ると、その名の通り夏には蓮の花が咲く池が見えて来る。
当時は町内にまだまだ稲田や畑が多くあり、網目のように繋がった畦道をたどると、どんなルートでもたどり着けた。
春になると畔道にはハコベやタチツボスミレ、ホトケノザジシバリなど数多くの野花が咲き、初夏になると水田の中からカエルの大合唱が聞こえてきた。
播磨平野には同様の池があちこちにあり、農業用のため池として使われていた。
多くの池は冬になると水量が著しくへり、ひび割れた底が顔を出した。
そこにはカラス貝の移動した跡が見られ、まっ黒な貝殻もよく落ちていた。
小学生のころはバードウォッチングも好きだった私は、シギやチドリの仲間が訪れ餌を探す姿を、双眼鏡で飽きることもなく見続けていた。
初夏のころにはカイツブリが現れ、浮巣をつくった。
そのけたたましい鳴き声は、季節の風物詩であった。


水と蜂というのはあまり繋がりがない。
池の周りに蜂を呼び寄せるものがあるとすれば、餌になるものや営巣環境の存在だろう。
そんな条件がうまく重なり、営巣した蜂がいた。
真っ黒な体で、細くくびれた腰を持ち、1センチ足らずの蜂で、当時はどういう蜂か分からなかったが、あれは
ヨコバイバチの一種であったと今では思う。
ヨコバイバチはアリマキバチ科に属し、概して小型で地中に巣を作るようだ。
まだ小学生だったと思うが、下校途中に友達と寄り道をしていた時だった。
池の水際の砂地に、いくつかの穴があいていた。
穴から片側(池側)に、巣を掘る時に運び出された土塊が少し盛られていた。
そこに、見ている間にもひっきりなしに餌を運び込むこの蜂を見つけた。
池の方向から緑色の昆虫を抱えて帰巣し、素早く穴にもぐり込んだ。
餌の昆虫は、ウンカかヨコバイだったと思うが、美しい黄緑色をしており、翅は透明だった。
池には、アシやショウブ、蓮などの植物が生えており、水面にもヒシが浮かんでいた。
餌の昆虫は、このいずれかの植物をホストにしていたと思われる。
それほど蜂は、複数の巣穴に短時間に帰巣していた記憶がある。
まだ本格的に生態観察や、写真撮影を始めていなかったころのことで、思い出す度に、あの環境が今失われていることを惜しんでいる。
この池の南側にもやはり稲田が広がっていたが、北側より池の土手が高かった。
秋になってクロスズメバチの雄蜂が土手の斜面を飛んでいるのを見かけた。
おそらくこのあたりの地中に巣を作っていたと思われ、新女王と雄蜂が発生し、巣が解散したところを見たのだろう。
当時はクロスズメバチは町内のいたる所で見ることが出来たが、スズメバチ科の蜂の巣は、アシナガバチ以外お目にかかる機会がなく、家族の小旅行で宝塚に行った時、泊まったホテルの近くを流れる川の橋の下に、キイロスズメバチが巣を作っていたのを、垂涎の思いで見たのを覚えている。
いろいろな動植物の集うこの池も、後に側の半分が埋め立てられて小学校が建てられ、6つ年下の弟が通うこととなった。
その周りは、私が35歳くらいの時に再びジョギングを始めた時のコースになった。


家から東側に少し歩いたところに、ソウブチ池という池があることは先に書いた。
蓮池は水が比較的きれいで、フナやモロコなどの魚が棲み、岸部にフナが産卵に来ているのを、子供のころ何度か見たし、その卵から稚魚が孵化して、浅瀬を泳ぐ様子もよく見かけた。
ソウブチ池の方は、少し水がよどんでいて、魚はフナなどはいたのかもしれないが、目に付くのはライギョやクサガメが、水面に浮かんでいる姿だった。
水面からちょっと深くなったところさえ見えず、岸部では季節が来るとミジンコが大量発生し、岸の近くが真っ赤に見えた。
古いストッキングで作られた網ですくわれたミジンコは、家の金魚の餌になった。
トンボの数は豊かで、各種のイトトンボやコシアキトンボ、シオカラトンボ、ギンヤンマ、オニヤンマ、チョウトンボなど、多くのトンボがおり、池のほとりを飛んだり、縄張りを持つ種は同じコースを往復していた。
岸部の水をすくうと、イトトンボのヤゴが網に入った。
今となっては、ほとんど見ることができない、マツモムシやミズムシ、ゲンゴロウの仲間など多くの水棲昆虫が生息していた。


池に沿った道と池との間にはウナギの寝床のような細長い畑があり、そこに蜂がいた。
畑と道とは1メートル弱ほどの段差があり、壁面は土がむき出し、所々に草の根が垂れ下がっていたが、その根に瓶の様な形の小さな土の巣を作る蜂がいた。
ヒメクモバチの一種と思われたが、種名ははっきりしない。
故岩田久二雄氏がその著書の中で、ガケヒメベッコウと呼んでいた蜂が、まさに同じ生活史をもっていた。
しかし記載種の和名を調べると、ヒメクモバチの仲間の中にその名は無かった。
おそらくナミクモバチあたりではないかと思われるが、ヒメクモバチの仲間はそもそも類似する種が多く、全て小型種であるため、専門家でも同定には精査を要するそうだ。
ソウブチ池は家から歩いて5分の所にある十字路に西の端を接し、畑もそこから作られている。
畑の畔道の内側はすぐ池で浅瀬もない。
その畦道を東の方に歩いていくと、少しずつ土手が高くなって蜂の姿が見られるようになる。
蜂はヒメクモバチの中でもやや小型の種で、初夏から夏にかけて巣を作った。
ヒゲのように垂れ下がった草の根に、長さ1センチほどの瓶の様な形の土の巣が数個くっついているのを、比較的簡単に見つけることが出来た。
巣の表面は土を塗りつけた時の波打った畝が出来て、それが模様になっていた。
いくつかの育房に3ミリくらいの小さな穴があいている時は、羽化が済んでいる巣だが、全てが塞がっていて穴も見当たらない場合はまだ中に獲物の蜘蛛と、卵や幼虫が入っていた。
さらにそのうちの一つの育房の口の形が、本当に瓶の様に開いている場合は、営巣がまさに続行中である可能性が高く、しばらく眺めていると、蜘蛛を抱えて運んでくる蜂を見ることが出来た。
ここでこの蜂をよく見たのは、いつの頃だったかはっきり覚えていないが、まだカメラも持たない時期であったのは確かだ。
他の昆虫、例えばテントウムシなどを飼育したりしていた時期だったと思うので、小学校から中学校に上がる頃ではなかったろうかと思う。
蜘蛛運びが見られる頻度は、結構高かったと記憶している。
この蜂は育房一つにつき、獲物の蜘蛛を一匹運びこみ産卵するが、狩った後に必ず蜘蛛の肢を切り取る。
この種類の蜂が実際に肢を切るところは観察したことがないが、別の種が切るところは見たことがある。
中学か高校のころだったかと思うが、ミヤコヒメクモバチという蜂が、ツワブキの根の虫食い穴に営巣しているのを観察した時に、その瞬間を見ることが出来た。
がりがりかじりとるような感じではなくて、がぶっと大顎で肢の根元にかぶりつくや、すぽっと引き抜く様な印象だった。
8本全て切り取られたものがよく見られるが、時に前の2対ほどは残されたものも見ることがある。
これは種類によって特定の傾向があるのか、個体差なのか、あるいは獲物の大きさなどの条件によって左右されるものか判断できる情報は持っていない。
この様に肢を切り取った後、蜘蛛の腹部の先端に突き出た、吐糸管という糸を出す器官をくわえて、馬乗りになって運び始める。
蜂は進行方向に頭を向けて、蜘蛛を逆さに向けた状態で歩いていく。
崖になったところをかけ登って行くので、時に翅を補助的に使い、プロペラ機の離陸のような感じで駆け上がっていく。
出来あがった育房に運び込む時は、まず蜂が先に後ずさりに育房に入り、蜘蛛を引き込んでいく。
引き込み終わっても、育房から頭をのぞかせたままでじっとしている。
産卵をしているのだ。
しばらくすると飛び立ち、泥の玉をくわえて帰っきて育房の閉鎖を始める。
入口のまわりに泥の玉を押し付け、腹部を曲げて窮屈な姿勢で腹部の先端をコテの様に使い、泥を塗り付けていく。
この腹部の先を器用に使う行動は、よほど特別な習性のように感じるが、実は他の穴掘りベッコウバチが産卵後穴を埋めるとき、埋めた土を押し固めるときに、腹部の先端で高速で突き固める行動を引き継いでいるだけだと考えられている。
この蜂は、一か所に複数の育房をまとめて作るのが普通だが、全体を泥で上塗りされているものが見られる。
一つ一つの育房の形が分からなくなるほどに塗りつけられるが、全ての巣がそうなっていないのは、巣作りがなんらかの理由で中断されたのか別の理由があるのか分からない。
畑の脇の土手の部分は日当たりがよく、特別な時期に印象に残っている蜂がいた。
一年を通してこの場所でよく見かけた記憶は無かったのだが、真冬によく見かけたのが、コオロギバチの一種であった。
よく見られるコオロギバチには、ナミコオロギバチと先に紹介したヒメコオロギバチがあり、一瞥して見分けられる特徴はなく、よく似た黒い蜂だ。
どちらも成虫態で越冬するので、どちらだったか分からなかったが、今思い起こすとナミコオロギだった様な気がする。
温暖な季節になると、どこでも暖かいので分散して活動するのだろうが、冬では日当たりのいいところに集まってきて、何をするでもなくただ歩きまわっている。
日が陰ると穴の中に入ってしまうが、気温が下がるといつもそうしているのだろう。
素人考えでは、体力を温存するためには、あまり動かない方がいいのではないかと思ってしまうが、昆虫の越冬は、代謝が少なくなり休眠状態になるものと、寒さのために麻痺して動けないだけという2つのタイプがあるそうだ。
コオロギバチは間違いなく後者だろう。
コオロギバチはもともと南方系の蜂であるそうなので越冬する歴史が浅く、休眠という習性ががまだ確立されていないのだろう。
20ミリ前後と大型で、金色がかった褐色の毛に覆われた、リュウキュウコオロギバチという種がいて、秋深くまで営巣活動をし、12月になっても狩りをするが、この蜂は成虫越冬するのか定かではない。
10月頃までに営巣を終え、明らかにその時の次の世代が羽化して越冬すると考えられる、ナミとヒメの2種に比べ、リュウキュウの様に年内に営巣している世代が越冬してしまうと、次世代との混同という問題が生じるので、リュウキュウは冬になると死んでしまうと考えるのが自然だ。
もっとも専門家の先生達は、とうの昔に事実を知っているのだろうと思う。
後年佐賀市の温暖なみかん畑で、真冬に活動するこの蜂達を毎年見ることが出来るようになった。
春になると、ナミとヒメの2種は4月のうちから狩りを始め、リュウキュウのほうも春には成虫が営巣活動を始める。
   
     

冬でも活動するナミコオロギバチ。
みかん畑の南向きの斜面で歩き回る。
2013年佐賀市大和町。

狩った蜘蛛の肢を切り取るミヤコヒメクモバチ。
2010年佐賀市大和町。

ササグモの一種を狩り運ぶ、ヒメクモバチの一種。
2009年佐賀市大和町。

つる草に作られたヒメクモバチの一種の巣。
2003年佐賀市富士町。

みかんの葉に付いたカイガラムシの甘露をなめる、クロスズメバチの雄。
2013年佐賀市大和町。

ウンカを巣穴に運び込むヨコバチバチの一種。
2008年佐賀市大和町。